その他の名所・旧跡

更新日:2022年03月25日

夏山塚

夏山塚の写真

清水城主5代義高公戦死の地。永禄8年の合戦で戦死、法名から夏山塚として宝暦13年の200回忌に清水城の遺臣が供養のため建てたものです。

寶樹山光明寺(浄土真宗大谷派)

清水城主6代義氏公一人娘(天正5年生)清水姫が当時山形城主であった出羽守最上義光公に19才で嫁ぎ清水御前と称されました。慶長19年(1614)1月18日義光公逝去後清水にかえり浄土真宗に帰依光明寺を開創のち徳川家より5000刈りを賜ります。寛永15年(1638)8月22日62才で世を去ります。
法名光明寺殿釈尼真覚大禅定尼、慶安元年寺領54石の御朱印を賜り、最北最大の刹名となりました。大正初期に火災にあい広壮な寺宇と調度品を失い、キャラボクと御前の遺品として五條袈裟と銅鏡のみが光明寺に保管されています。

宰相の夢の碑

終戦直後元総理大臣小磯国昭氏が大蔵村村長になろうとしたが実現寸前で取り止めとなりました。

十一面観世音

十一面観世音の写真

享保年間の創建で、新庄地廻三十三観世音9番目の札所として知られる、十一面観世音。多くの人がお札参りに訪れています。

要の松

要の松の写真

山が東北に広がり、ちょうど扇の要に見える位置に、枝ぶりの面白い松が生えているため、船頭たちか゛要の松と呼び習わしました。その渕の主である大きな緋鯉は16日の盆踊りの夜、美しい娘に姿を変え、踊りに来るという言い伝えがあります。

稲沢の渡公園

稲沢の渡公園の写真

大蔵村にはかつて4ヶ所の渡船場がありましたが、年々の道路整備や架橋により、現在は廃止され、公園として昔の面影を残しています。

修善院笠松の跡

修善院笠松の跡の写真

樹齢500年を越え、幹は大人4人で抱き廻す程の太さ。枝の形が笠に似ていた事から笠松と呼ばれていました。歳月と厳しい風雪に力尽きて終戦後に倒れ、後に植樹された跡継ぎの松です。

正岡子規歌碑

最上川舟運の発達により、この地はたくさんの人と物資でにぎわい最上川の果たした歴史的役割は大きなものでした。正岡子規が詠んだように最上川を舟が往来する姿は日常的な光景として目にすることができたようです。
『舟引の背丈短し女郎花』・『蜻蛉や追いつきかぬる下り船』

ブナ林

ブナ林の写真

清涼な空気のなか、生命の息吹を感じるブナ林での散策は、身も心もリフレッシュしてくれます。
春の新緑、秋の紅葉など、四季折々の表情が楽しめるほか、展望台からは四ヶ村の棚田も眺められます。

男沼、長沼・馬頭観音

男沼、長沼・馬頭観音の写真

貴重な水生植物が生息する男沼・長沼。山形県の里山環境保全地域に指定されています。近くには享保12年に創建された馬頭観音があり、人々の信仰を集めています。

斎藤茂吉歌碑

斎藤茂吉歌碑の写真

昭和22年9月、歌人、斎藤茂吉が肘折を訪れ、温泉の素晴らしさをはじめ、眼下に広がる仙境の美などに心をうたれ、数種の短歌を詠みました。その歌を刻んだ碑です。
『肘折のいでゆ浴みむと秋彼岸のはざま路とほくのぼる楽しさ』

小松渕

小松渕の写真

むかし、新庄藩の侍、小山八郎が大蛇を退治したと言う大蛇伝説が伝わる銅山川の名勝。新緑や紅葉が水面に映えて、四季折々の彩りが美しい渓谷です。

源泉公園

肘折温泉街を銅山川沿いに上流に上って行くと登録有形文化財に指定された肘折ダムがあり、その近くに源泉公園があります。公園内にはダムを見ながら足湯が楽しめる「初恋足湯」や源泉が自噴するところを見ることができる源泉ドームがあり、背中を密着させて腰湯を楽しむこともできます。

縁結び地蔵倉

縁結び地蔵倉の写真

奇岩が連なる肘折温泉開湯伝説の地、老僧が住んでいたとされます。後に地蔵倉と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として、また商売繁盛の神として知られ、多くの人がお参りに訪れます。
岩肌の小さな穴にこよりを通すことができれば、願い事が叶うとされています。

念仏ヶ原の湿原

念仏ヶ原の湿原の写真

月山登山道を肘折口から約6時間のところにある念仏ヶ原の湿原は、サギ草、ニッコウキスゲなどの高山植物の宝庫として知られます。月山の眺望もすばらしいです。

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